2015年 11月 15日
42年振りのD大学同窓会 |
会社を辞めてから大学時代の友人Y君と毎月1回飲み会を続けている。Y君はまだ現役で京都で父親創業の広告代理店を経営している。当初は学生時代の思い出や会社の話題が主であったが、その後話題は家族の話に変わり、特に最近はY君の「孫のおのろけ話」を聞くのが大半か(笑)
その席でY君が大学時代の研究会メンバーで一度集まらないかと発案、今回の42年振りの同窓会となった。勿論、開催地は母校がある京都市。遠隔地からの参加が多いため一泊二日の同窓会となった。
集合場所はY君が手配してくれた洛中悠庵「花伝」という洒落た造りの和風旅館。部屋は落ち着いた和モダンで風呂も街中にしては庭園付きの大きな造り。ゆっくりと朝風呂を堪能できた。
集まったメンバーは北は北海道から南は長崎まで計6名。1名は仕事の都合で残念ながら欠席。1名は連絡先不明。
42年振り。当たり前ではあるが一癖も二癖もあった若者達が、皆それなりに苦労をしたのであろう、皆の表情に若い頃にはなかった「ゆとり」というか「優しさ」が漂っているのを見て何故か「ほっ」とした。それにしても皆穏やかな顔をした老人になったものだ。話しているうちに、断片的ではあるが過ぎ去った42年前の遠く懐かしい記憶を皆で共有し深夜2時過ぎまで話が弾んだ。遠い昔の甘酸っぱい想い出話もちらほら。青春よもう一度!
皆が各々近況報告しているうちに、M君が腎臓癌で片側の腎臓を摘出したという。6人集まって癌患者2名。若い若いと思っているうちに皆それなりの歳になったということか。
翌日は、宿から歩いて母校へ。懐かしい煉瓦造りの校舎が建ち並ぶキャンパスを散策した後見違えるほど立派になった学食で昼食。その後当時の研究会の部室へ。皆は懐かしがっていたが私は微かにしか記憶に残っていない。そういえばあまり部室へは行かず近くの喫茶店か雀荘へ入り浸っていたか?
次回は翌年の11月末にM君世話役で金沢で蟹をたらふく食べようということを約束し、懐かしい初回同窓会は解散。
まだ若い若いと思いつつ何時の間にか60半ばになってしまったが、これからもただ歳をとるのではなく、一つ一つ歳を積み重ねながら人生を謳歌していきたいものだ。
私の膀胱癌の予後を気遣って全ての段取りをしてくれたY君に感謝。
その席でY君が大学時代の研究会メンバーで一度集まらないかと発案、今回の42年振りの同窓会となった。勿論、開催地は母校がある京都市。遠隔地からの参加が多いため一泊二日の同窓会となった。
集合場所はY君が手配してくれた洛中悠庵「花伝」という洒落た造りの和風旅館。部屋は落ち着いた和モダンで風呂も街中にしては庭園付きの大きな造り。ゆっくりと朝風呂を堪能できた。
集まったメンバーは北は北海道から南は長崎まで計6名。1名は仕事の都合で残念ながら欠席。1名は連絡先不明。
42年振り。当たり前ではあるが一癖も二癖もあった若者達が、皆それなりに苦労をしたのであろう、皆の表情に若い頃にはなかった「ゆとり」というか「優しさ」が漂っているのを見て何故か「ほっ」とした。それにしても皆穏やかな顔をした老人になったものだ。話しているうちに、断片的ではあるが過ぎ去った42年前の遠く懐かしい記憶を皆で共有し深夜2時過ぎまで話が弾んだ。遠い昔の甘酸っぱい想い出話もちらほら。青春よもう一度!
皆が各々近況報告しているうちに、M君が腎臓癌で片側の腎臓を摘出したという。6人集まって癌患者2名。若い若いと思っているうちに皆それなりの歳になったということか。
翌日は、宿から歩いて母校へ。懐かしい煉瓦造りの校舎が建ち並ぶキャンパスを散策した後見違えるほど立派になった学食で昼食。その後当時の研究会の部室へ。皆は懐かしがっていたが私は微かにしか記憶に残っていない。そういえばあまり部室へは行かず近くの喫茶店か雀荘へ入り浸っていたか?
次回は翌年の11月末にM君世話役で金沢で蟹をたらふく食べようということを約束し、懐かしい初回同窓会は解散。
まだ若い若いと思いつつ何時の間にか60半ばになってしまったが、これからもただ歳をとるのではなく、一つ一つ歳を積み重ねながら人生を謳歌していきたいものだ。
私の膀胱癌の予後を気遣って全ての段取りをしてくれたY君に感謝。
by take30129
| 2015-11-15 00:00
| 日々の出来事